国立動物園をつくる会について

顧問  故:正 田 陽 一 (東京大学 名誉教授)
代表  小 菅 正 夫   (北海道大学 客員教授)
    あ べ 弘 士   (絵本作家)
    岩 野 俊 郎   (北九州市到津の森公園 園長)   
    高 田  勝    (沖縄こどもの国 園長)     
    長 嶺  隆    (NPO法人どうぶつたちの病院沖縄 理事長)
    和 田 晴 夫   (到津の森公園 ボランティア)


顧問:故:正 田 陽 一 (東京大学 名誉教授)


家畜育種学者。1927年(昭和2年)生まれ。1950年、東京大学農学部畜産学科卒業。

動物学の一分野である家畜学研究の第一人者として、「上野動物園」などで来園者にガイドを行うボランティア団体「東京動物園ボランティアーズ」の設立に関わる。以後40年間、動物園ボランティアのリーダーとして、動物園と来園者とをつなぐ役割を担ってきた。

2016年(平成28年)12月30日、死去。現在は「国立動物園をつくる会」の永久顧問として会メンバーがその遺志を引き継いでいる。


小 菅 正 夫(北海道大学 客員教授)


北海道札幌市出身。北海道大学獣医学部卒業。1973年「旭山動物園」に入園。

飼育係長、副園長などを経て、1995年に園長に就任。一時は閉園の危機にあった「旭山動物園」を再建し、日本最北にして“日本一の入場者を誇る動物園”に育て上げた。2004年には「あざらし館」が日経MJ賞を受賞。

2009年に同動物園を定年退職後、名誉園長となる。2015年には、札幌市環境局参与(円山動物園担当)に就任。2017年公開ドキュメンタリー映画『生きとし生けるもの』では監修を務めている。


あ べ 弘 士(絵本作家)


北海道旭川市出身。北海道旭川西高等学校卒業。

1972年から25年間、旭川市旭山動物園飼育係として働く。勤務中、飼育員の間で話し合った行動展示の夢を絵として残し、旭山動物園の復活の鍵となった。

退職後は、絵本を中心に作家として活動。木村裕一著の『あらしのよるに(講談社)』では挿絵を担当し、1995年に産経児童出版文化賞JR賞・講談社出版文化賞絵本賞を受賞。

2011年には旭川市を拠点とする「NPO法人かわうそ倶楽部」を設立。理事長として「アートスペースギャラリー プルプル」の運営に関わっている。


岩 野 俊 郎(北九州市到津の森公園 園長)


獣医師。山口県下関市出身。福岡県北九州市にある動物園「到津の森公園」園長。

1972年、日本獣医師畜産大学獣医学科卒業。翌年、西日本鉄道株式会社が運営する「到津遊園」に獣医師として入社。1997年に園長に就任。2000年、同園の閉園に伴い西鉄を退社する。

02年に「到津の森公園」の初代園長に就任後、「森の中の動物園」をテーマに市民ボランティアを導入するなど地域とともに新たな動物園の形を確立。

著書に『戦う動物園―旭山動物園と到津の森公園の物語』(中央公論新社、2006年、小菅正夫・島泰三との共著)がある。


高 田  勝(沖縄こどもの国 園長)


1960年生まれ。東京都出身。東京農業大学を卒業後、財団法人「進化生物学研究所」勤務を経て、1984年に沖縄に移住し、生産者となる。

2012年に動物園とミュージアムの一体型施設「沖縄こどもの国」の施設長となり、2015年4月からは現在の園長に就任。「人をつくり、環境をつくり、沖縄の未来をつくる」をモットーに沖縄の在来動物に加え、在来植物などを栽培展示している。

農業生産法人(有)今帰仁アグーの生産者代表としても活躍し、在来豚「今帰仁アグー」の種の保全や保存にも力を注ぐ。


長 嶺  隆(NPO法人どうぶつたちの病院沖縄 理事長)


1963年(昭和38年)、沖縄県具志川市生まれ。1989年、日本大学農獣医師学部獣医学専攻科(獣医学修士)卒業後、埼玉で獣医師として従事。

2001年に帰郷し、「ながみね どうぶつクリニック」を開院。世界でも貴重な沖縄北部のみに生息する「ヤンバルクイナたちを守る獣医師の会」を翌年に設立し、絶滅の危機に瀕しているヤンバルクイナの保護に関わる。

2005年には「NPO法人どうぶつたちの病院」を設立。理事・事務局長を務める傍ら、帝京科学大学 非常勤講師としても活躍中。


和 田 晴 夫(到津の森公園 ボランティア)


1939年生まれ。山口県下関市出身。九州工業大学卒業後、新日本製鐵株式会社に入社。

「国立動物園をつくる会」の事務局長として活躍。現在は、福岡県北九州市にある「到津の森公園」市民ボランティアグループ「森の仲間たち」のスタッフの一員として、園内の動物や植物、公園の緑化や環境整備、清掃活動、広報に関わる活動を続けている。