コラム

2021年、夏の盛りに盛岡市動物園へ訪れました。
盛岡市内から車で少し走ると、緑が段々と多くなり、およそ30分で森に囲まれた駐車場に到着しました。盛岡市動物園は、郊外に広がる山地に立地し、そのことを生かした動物園でした。


自然を取り入れる


37ヘクタールの広大な園内は、広がる自然環境と共存しています。その自然環境を取り入れることで、生き物たちそれぞれの特性を生かすデザインがされていました。いくつか例をあげてみます。

日本生態エリア。正門をくぐりまず目につく、ニホンザルの展示場では、奥の自然林を借景にして、岩山で遊ぶニホンザルたちを観察することができます(写真1)。ニホンジカやニホンカモシカの展示場は、山の斜面につくられ、山岳の生活や行動を誘発しています(写真2)(ビクトリアエリアでも同じようにオオツノヒツジが展示されています)。ツキノワグマやニホンイノシシの展示場では、自然木やぬた場があり、それぞれの行動に応じた工夫がされています(写真3)。タカ類・フクロウ類・キジ類などの獣舎は、森の中に溶け込むように配置され、木陰を提供しています(写真4)。


盛岡市動物公園 ニホンザルの展示場

写真1ニホンザルの展示場


盛岡市動物公園 ニホンカモシカ の展示場

写真2ニホンカモシカ の展示場


盛岡市動物公園 ニホンジカの展示場

写真2ニホンジカの展示場


盛岡市動物公園 ツキノワグマの展示場

写真3ツキノワグマの展示場


盛岡市動物公園 ニホンイノシシの展示場

写真3ニホンイノシシの展示場


盛岡市動物公園 鳥類の展示場

写真4鳥類の展示場


アフリカエリア。ここは他と違い、視界が開け、谷沿いの斜面を生かしたエリアです。手前のアミメキリン・グレビーシマウマ・フラミンゴなどの放飼場から、中腹のライオンやシロサイ(現在は非展示)、奥のアフリカゾウまで見渡すことができ、サバンナを想起する展示空間をつくり出しています(写真5)。


盛岡市動物公園 アフリカエリア

写真5アフリカエリア


また、この園に暮らしているのは、飼育された生き物だけではありません。園内では、野生のニホンカモシカが生息しています。辻本園長によると、3年ほど前から雌雄のペアが暮らしはじめ、園内で繁殖し、現在はその仔を合わせた3頭が棲んでいると言います。私が訪れる直前には、9年ぶりのツキノワグマの目撃もありました(その際には臨時休園)。「山の公園」として楽しみにやってくる来園者も多く、園内で虫取り網を持った親子連れも見ました(写真6)(平時は網の無料貸し出しも行っている)。「野遊びしよう」という看板も掲げられていました(写真7)。このことからも、豊かな自然環境の中に、動物園があることがわかります。


盛岡市動物公園 園内で虫取り網を持った親子

写真6 園内で虫取り網を持った親子


盛岡市動物公園 野遊びしよう

写真7 野遊びしよう


動物園が、展示や園内のデザインに自然環境を取り入れることで、生き物たちの野生の姿を伝えることはもちろん、子どもたちが自然に親しむ場となり、環境教育としての効果があります。ここではさらに、園内に身近な生き物が生息していることから、自分たちの暮らす環境について、地続きで考えることができると思います。


リニューアルに向けて


現在、盛岡市動物園は2023年春のリニューアルオープンに向けて、長期休業をしています。一体、どんな動物園へと生まれ変わるのでしょうか。辻本園長に熱い構想をお聞きしました。ここでは、そのお話を5つにまとめて紹介します。


①里山の復元


この園の目玉といえば、日本生態エリアです。ここでは、園路などの改修が行われ、借景を利用したデザインへと変わります。それにより、日本の里山をトレッキングしている感覚になるようなエリアになります。


②高原の牧場


これまで、子ども動物園として親しまれてきたエリアです。ここでは、新しく「畜産の歴史や人との関わり」をテーマに、以前のウサギやモルモットの触れ合いから、ウシ・ウマ・ヤギ・ヒツジなどの家畜を中心としたエリアへと変わります。


③自然と人の共生


自然は、人の手が入ることで維持されてきた側面があります。例えば、盛岡市は、絶滅危惧種のニホンイヌワシ が県庁所在地で唯一生息している土地です。人間が里山などの手入れをすることで、彼らのエサとなる小動物が増え、棲み良い環境が保たれます。そんな自然と人との共生について、ニホンイヌワシ や上記の家畜の展示などを通して伝えます。


④ソフト面のリニューアル


獣舎などの建物のハード面については、今あるものを隠したり色を変えたりして自然に溶け込ませるようにし、あまり大きなリニューアルはありません。一方で、ソフト面について、「One World-One Health(生き物の生活環境と健康の一体化)」という理念を掲げ、「動物福祉(アニマルウェルフェア)」の考え方を中心に、飼育や組織を改変し、スタッフ一人ひとりの意識教育に力が注がれます。


⑤動物園からのメッセージ


園長は一貫して、「自然と人とのつながり」を重視されていました。動物園と聞くと生物学のイメージがありますが、「生物学だけではなく、(自然と人の関係は強く)人文学とのつながりもある。また、人文学の方が人に伝わりやすい」と、園長は仰っていました。生き物の特性だけではなく、人とどんなつながりや関わりがあるのか、多面的多角的な分野から、来園者へメッセージが発信されます。

ハード面とソフト面のそれぞれのリニューアルが行われ、より生き物たちのいきいきした姿を伝え、来園者がどんな印象を受け取るのか、リニューアル後が楽しみになるインタビューでした。


物語る


ここまで、盛岡市動物園の特徴や今後の展開についてお伝えしてきました。最後に、盛岡市動物園の存在について少し考えたいと思います。

私は、動物園へ訪れる前日に、同県遠野市で『遠野物語』にゆかりのある場所を巡りました。そこで、この地域(岩手)の土壌には、〈生き物(自然)と人の強いつながり〉があることを感じました。例えば、『遠野物語』の有名な説話の一つ「オシラサマ」は、人間の娘と馬との悲しい恋愛を描きます。

この説話は、南部地方に多く見られる馬屋と人間の居住空間が合体した「南部曲り家(写真8)」に象徴されているように、ウマとヒトが一つ屋根の下で共に暮らすことから生まれる親近感によって成立した話だと思います。他にも、河童や山男や狼などの説話がたくさん出てきますが、これらも自然との距離の近さから生まれたものだと言えるでしょう。

岩手県の畜産の深い歴史は、この延長線上にあると考えます。また、それに加えて、『遠野物語』や花巻出身の宮沢賢治の作品に代表されるように、この強いつながりを〈「物語る」力〉もあると思います。このことから、ここに立地する盛岡市動物園は、「生き物と人とのつながりを物語る動物園」とでもいうべき、社会的な役割があるのではないでしょうか。これは、園長のお話にもあった、人文学からの視点です。(写真9)


盛岡市動物公園 左側が馬屋(遠野ふるさと村にて)

写真8左側が馬屋(遠野ふるさと村にて)


盛岡市動物公園 東北地方の馬と人の関係を物語る民俗資料(国立民族学博物館にて)

写真9東北地方の馬と人の関係を物語る民俗資料(国立民族学博物館にて)


園長とのお話の中に、「柳田國男は、遠野物語の書き出しで”平地民を戦慄せしめよ”と書いたが、これは動物園にも通じるかも知れない」というフレーズがありました。この書き出しは、辺境の眼差し(=遠野地方の説話や伝承)によって近代化が進む「都会人(平地民)」を揺さぶる、柳田からのメッセージだと考えられています。

この言葉を受けて私は、「平地民」は「現代人」と、置き換えることが出来るのではないかと思いました。人的な気候変動により「持続可能な社会」への転換が求められる今世紀、私たち現代人は、「生き物と人とのつながり」を新しく紡ぎ直す時期に到っていると思います。

盛岡市動物園は、「生き物と人とのつながりを物語る動物園」のトップランナーとして、その機会を提供し、「現代人を戦慄せしめる動物園」になるのではないかと期待に胸を膨らませながら、まとめに変えたいと思います。


註:遠野物語…民俗学者の柳田國男による遠野地方の伝承をまとめた説話集。明治43年(1910)。
盛岡市動物園再生事業計画はこちらから→https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/028/702/moriokazoologicalparkproject2.pdf
現在、盛岡市動物園は長期休業中です。リニューアルオープンについては、ホームページなどでご確認ください。



「現在のような」動物園は無くてもいいというのが、私の考えです。

「現在のような」と但し書きを付けています。なぜ「現在のような」動物園なのでしょうか。しかもそれは、多くの皆さんが考えているような「今ある日本の」動物園(たぶん、私たち動物園のスタッフも同じように考えている動物園)。

多くの動物園は、動物に対する思いやりを欠いています。「見たい」と思うのは観客(あるいは私たちかも知れませんが)で「隠れたい」と思うのは動物です。現在ある動物園は、「見せる」ことに終始しています。見えなければ「見せろ」、「金戻せ」という観客がいるのも事実です。探して見てもらうという手法を取っている動物園はほとんどありません。

隠れている動物を探して見てもらうためには何が必要なのでしょうか。それが「教育」なのです。見えているものが「教育」ではなくて、見えないもの、あるいは見えにくいものを探して見つけるのが「教育」です。そのような意味からいうと動物園は「教育」を行っていないと言えるかも知れません。

見つけるための努力。それは観客以上に動物園側に求められるものです。動物園の中の動物は犠牲者ではありません。野生の世界からの大使というのであるならば、そのような取扱いが必要です。それらの動物は、自然界の性格を失わずに持っています(例えその動物が、動物園生まれで、野生の生活を知らなくても)。

この野生の性格が発露できるかどうか。これが「福祉」です。野生下の生活の中では多くの選択が必要で、それが生きていく術でもあります。逃げる。追う。食べる。群れる。遊ぶ。番う。子どもを産む。育てる。野生下では数多くのストレスを受けています。そのストレスに対する対応能力が進化という現象に繋がっています。いわば、ストレスの回避が多様な進化形態を生んだとも言えます。

そのような多様な進化結果が動物園で見えるというのが、動物園の本来ある姿だと思っています。野生下の動物の多様な生活様式を動物園で再現するのは極めて困難です。だからといって投げ捨ててしまっていいものではありません。例え、肉食動物が草食動物を捕獲するということを見てもらうのは無理にしても、例えそうでも、何らかの方法はあるはずで、それにはフィールドで研究をしている人々の力を借りなくてはなりません。食べ物一つ例にとっても同じことです。「福祉」とは、彼ら野生動物が本来持っている行動の再現に外なりません。

野生下の動物たちの行動や食性が再現できること(十分な福祉)。それが動物園の目指す究極の目標です。そこから、見えてくる野生の世界と、その世界を取り巻く環境を、その、今あなたがいる動物園で感じ取ることができるのが未来の動物園のあり方です。

研究者と共同でつくられた動物園(果たしてそれは「現在のような」動物園という姿を呈しているかどうかは関係なく)は、地球の生き物と共存する私たちの未来の姿を想像するものでなくてはなりません。また未来に対する警鐘は誰かがしなくてはなりません。その適役はやはり野生の動物だろうと思うのは私だけでしょうか。

以前、沖縄でシンポジウムを開催した時、会の代表の小菅氏と一緒に沖縄市の市長に呼ばれて行ったことがあります。普天間基地の返還に揺れる沖縄。その跡地の400haは?私たちの答はこれ。「ゾウが20頭いるゾウの保全施設」。これは単なる一例かもしれませんが、例え1種しかいなくてもアジアに貢献できる立派な動物園です。


岩野俊郎



世界屈指の多様さを誇るマレーシア、ボルネオ島の熱帯雨林。密林を蛇行するキナバタンガン川の流域に生きる、多様性、固有性に満ちた動植物たち。その姿を紹介いたします。


サンダカンとマリアウベイスンの位置


キナバタンガン川は、ボルネオ島のマレーシア・サバ州を流れる全長560kmの大河です。河口は日本でも有名なサンダカンで、ここの船着き場からボートで可能な限り遡上し、そこからは車と徒歩で源流のマリアウベイスンまで登り、沿岸に生息する動物を調べてきた。今回はそこで観察した代表的な動物を紹介します。

写真撮影・解説 小菅正夫


キナバタンガン川


キナバタンガン川を遡上する

キナバタンガン川を遡上する。


河畔林が鬱蒼としてきた

河畔林が鬱蒼としてきた。。。


カニクイザル


カニクイザル(Macaca fascicularis)最初に現れた


カニクイザル

カニクイザル


キナバタンガン川の夜


マレーウオミミズク

マレーウオミミズク(Ketupa ketupu)夜の湖で。


カワセミの1種

カワセミの一種(Alcedo sp.) 夜の湖で。


テングザル


テングザル♀

テングザル♀


テングザル♀(Nasalis larvatus)の写真には何頭のテングザルがいますか?


テングザル♂

テングザル♂

テングザル♂


テングザル♂(Nasalis larvatus)


ボルネオオランウータン


若いボルネオオランウータン♂(Pongo pygmaeus)高さ30mほどの木で採食中。


ボルネオオランウータン-♂

ボルネオオランウータン-♂

ボルネオオランウータン-♂

ボルネオオランウータン-♂

ボルネオオランウータン


若いボルネオオランウータン♂(Pongo pygmaeus)高さ30mほどの木で採食中。


ジャワオオコウモリ


ジャワオオコウモリ

ジャワオオコウモリ


ジャワオオコウモリ(Pteropus vampyrus)約3000頭の群れが夕暮れになって塒を飛び立つ


材木運搬車


材木運搬車


マリアウベイスンへ向かう途中で会った材木運搬用トラック。上部分を下ろせば30m以上の材木も運搬できる。


絶壁は梯子で登る


絶壁は梯子で登る

途中、何カ所も絶壁があり、梯子を登っていく


突然の雨


突然の雨

マリアウベイスンで突然の雨


雨後の虹

晴れた空には美しい虹が・・・


ジャワジャコウネコ


ジャワジャコウネコ(Viverra tangalunga)夜中、キャンプに現れた


ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ

ジャコウネコ


クロテイオウゼミ


クロテイオウゼミ

クロテイオウゼミが羽化の為に出て来た跡

クロテイオウゼミが羽化の為に出て来た跡


クロテイオウゼミ(Pomponia merula)と地面から抜け出した跡


ヒガシボルネオハイイロテナガザル


ヒガシボルネオハイイロテナガザル(Hylobates funereus)麓のロッジにて


ヒガシボルネオハイイロテナガザル

ヒガシボルネオハイイロテナガザル

ヒガシボルネオハイイロテナガザル


ヒゲイノシシ


ヒゲイノシシ

ヒゲイノシシ♂(Sus barbatus)ロッジ周辺にて


ファイアーアント


ファイアーアント

ファイアーアント

ファイアーアント

ファイアーアント

ファイアーアント


ファイアーアント(Solenopsis geminata)恐ろしく大きい


噛み付いたファイアーアント


大顎で私の袖に噛み付く


オオコノハギス


オオコノハギス


オオコノハギス(Arachnacris corporalis)


カマキリの一種


カマキリの一種


カマキリの一種



皆さんは、日本にも国立動物園があったことを知っていますか。なぜ、過去形になっているのかというと現在は国立動物園がないからです。でも過去にはありました。

皆さんご存知の上野動物園です。この日本最初の動物園は、明治15年(1882年)に農商務省所管の博物館付属施設として開園しました。集められた動物は日本産のものが中心で、家畜も展示されていたそうです。その後、明治19年(1886年)には宮内省所管になり、トラやシフゾウ、ラクダ、オランウータンといった外国産の珍しい動物が数多く飼育展示されるようになりました。そして、関東大震災の翌年大正13年(1924年)には、皇太子殿下(昭和天皇)のご成婚を記念して、当時の東京市に下賜されました。それで上野動物園の正式名称は「東京都恩師上野動物園」となっているのです。このことによって、日本の動物園は国立の時代が終わり、自治体立の時代へとなっていくのです。東京市では、動物園を下賜されてから昭和13年までの15年間で、これまでの施設をリニューアルし、魅力的な動物園にしていったそうです。

自治体立最初の動物園は、明治36年(1903年)に開園した京都市動物園で、2番目は大正4年(1915年)開園の大阪市天王寺動物園です。また、民間の動物園としては、明治43年(1910年)箕面有馬電気軌道が設立した箕面動物園(1)が最初で、続いて大正5年(1916年)に鹿児島に鴨池動物園(2)が開園しました。その後も動物園建設は続き、大正7年(1918年)には名古屋市舞鶴公園付属動物園(3)、大正8年(1919年)甲府市遊亀公園付属動物園、大正15年(1926年)小諸市動物園が開園しました。昭和に入ってからも、昭和2年(1927年)神戸市立王子動物園が開園し、昭和4年(1929年)には熊本市動植物園と私立の宝塚動物園(4)、昭和5年(1930年)私立栗林公園動物園(5)と新設が続き、昭和7年(1932年)に甲子園阪神パーク(6)、昭和8年(1933年)に福岡市動物園、私立到津遊園(7)と、日本各地に相次いで動物園が開園し、多くの人々が動物園を訪れるようになったのです。


このように日本では、上野動物園が開園して以来50年の間に、14園もの動物園が次々と誕生しました。これらの動物園は上野動物園を見習い、世界各国の珍しい動物を収集展示することで多くの人たちを楽しませてきました。それらの動物園が共通して飼育展示してきたのが、いわゆる動物園三種の神器と言われた“ゾウ、キリン、ライオン”です。その後、終戦間際の戦時猛獣処分を経験し、戦後の動物園復活と地方都市へも及んだ動物園建設ブームを経て、一時は日動水加盟園館だけで100園を越えた日本の動物園は、その多様性を示すことは少なく、まるで金太郎飴のように、どこの動物園へ行っても上野のミニコピーのような動物園ばかりが出来てしまいました。それによって日本人には統一された動物園のイメージがつくられてしまい、今でも動物園を利用する人々の頭には三種の神器がこびり付いていると思います。そんな日本の動物園の“常識”に疑問を呈しているのが、当会の理事でもある到津の森公園の岩野園長です。園長は「キリンもゾウのいない、そんな動物園があっても良いじゃないか」というポスターを園内に掲げて、新しい動物園を模索する姿勢をしっかりと表明しています。


話は戻りますが、こうして国民の間に定着した動物園のイメージは、「動物園は珍しい動物を見て楽しむところ」というものでした。動物園が、社会的使命として「種の保存や研究、環境教育」を挙げても、多くの人々にとって、自分の体験から来る動物園観からは、ほど遠い印象を受けてしまうでしょう。その動物園のイメージを変えるには、日本で初めて作られた動物園が国立であったように、日本で最初の、未来を見据える動物園は、国立でしか出来ないと思うのです。国立動物園が出来て、その役割を果たしていけば、既存の自治体立動物園は否応なくその活動方針を国立動物園に合わせて是正してくることと思われます。既存の動物園が自らの発想で動物園改革を進め、野生動物の種の保存ばかりでなく、域内保全と直接連動する域外保全、さらに生息地の環境保全にも関わりを持つ動物園となることを目指そうとしても、現実には動物園を設置している自治体や親会社の無理解による決め付けによって、いつまでも現状と変わらぬ動物園が続くだけのような気がします。やはり既存の動物園の活動を抜本的に変えるのは、国が国立動物園を建設し、お手本を示すしかないと私は確信します。


NPO法人国立動物園をつくる会
代表理事 小菅正夫


参考
(※1) 1916年閉園
(※2) 1928年鹿児島市営となり、1972年鹿児島市平川動物公園
(※3) 1937年名古屋市東山動物園
(※4) 2003年閉園 
(※5) 2002年閉園
(※6) 2003年閉園
(※7) 2000年閉園の後、2002年北九州市が到津の森公園として再建